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この本に”伝統”の真実が....
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糸井重里さんがアイルランドのアラン島を訪ねる番組を見ました。
とても良い番組でした。
いろんなモヤモヤが残るところが、良かったです。

これまで私が見たアランに関する番組はどれも「厳しい自然と共存する人々」「家族の愛が編み込まれた伝統のニット」といった幻想を追うアプローチで、あまり本当のことが語られていなかったように思います。
今回の番組は、震災からの復興の鍵として「編み物」に着目した糸井さんが、"伝統的なフィッシャーマンズセーター"と言われているアランセーターの編み手を訪ねる、という内容。いろいろ訪ね歩くうちに、厳しく悲しい現実を目の当たりにし、悩み、涙する糸井さんが、ありのまま写され、答えが出ないまま番組は幕を閉じます。

アランセーターは世界的に有名な”ブランド”ではありますが、化繊のフリースに押されて(特にここ10年で)需要が激減。手編みのものと機械編みのものがありますが、手編みする編み手たちはどんどん減っているそう。

アランセーターのことについてはいろいろと考えさせられます。特に「伝統ってなに?」ということ。"伝統”ってよく聞くけど、それは本当に伝統なのかな? 外部の人や、自分たち自身が勝手にイメージをもってしまっていることもあるのでは? 「伝統を守る」って、どういうことなんだろう?

たとえば....
アランの漁師達がセーターを着て漁をしていたのは本当だけど、今私たちがイメージするアラン模様(ケーブルや蜂の巣などの柄)のものは着ていなかったらしいんですね。でも私たちは、その模様が、先祖代々受け継がれてきた伝統的な柄だと思っているし、アランの人に聞いてもそうだと言う(観光客に『ですよね?」と聞かれたら、私だって『ですよ!』と答えるでしょうね).....
それらの模様が定着したのはわりと新しくて、20年代にアメリカ帰りのマーガレットという女性が起こしたブームがきっかけだったと本で読みました。

この時の雰囲気を、私はなんとなく想像できるような気がするんですね。
日本の田舎でもありますよね。おばちゃん達はいつも、その時に流行っている手芸を誰かの家に集まってやって、競ってるの。私の子どもの頃も(アランみたいな規模の島で)近所のおばちゃんたちは、なんかチラシを棒状にしてカゴを編んで茶色いニスで仕上げるのとか、石けんを彫刻するのとか、五円玉をつなげて亀を作るのとか(笑)ブームが次々と起こって、その度にみんな腕を競い合うの。新しい技を編み出した人がいれば「あの人はすごい!」って、みんなで真似するの(笑)

もちろん、アラン島では漁に出る夫のために本当に必需品としてニットを編まなければならなかっただろうけど、そこには、糸井さんがイメージしていたような美しい家族愛だけでなく、主婦同士の競い合いの心理だとか、「新しい編み方でもしなくちゃ飽きるわよね〜」といった事情もあったかも知れないし......なにより、編み物って、着てくれる人がいようがいまいが夢中になってしまうほど中毒性をはらんだ手芸なのであって、糸井さんが持っていこうとしてる「手仕事による人と人の繫がり」のようなものとは、また別の世界があるような気もするんですよね.....(イギリス映画によく、祖母や伯母や母親から手編みのセーターをクリスマスに押し付けられて困る男子が出てくるのを思い出します)。

マーガレットさんのやったことはどちらかというと、それまでの伝統とは反対の、革新的なこと。そのおかげでアランのセーターは独自の進化を遂げて有名に。そのブームに乗った機械編みの会社が、結果的には現在でもアランのブランドを維持しているという現実.....(糸井さんは、この社長を"あんな風になりたくない”と否定していましたが)。

もしかしたら「伝統」は、「守ろう」とする人よりも「破ろう」とする人によって、途絶えずにすむのではないか.....? そんなことを考えました。

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